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2008年4月27日 (日)

今日の礼拝

今日の礼拝では詩篇98篇1-9節より「主の救いを見よ」と題して小池牧師より御ことばが語られました。

1-3節では、主なる神様の素晴らしい救いの御業が語られています。この背景には、イスラエルの歴史的体験が考えられます。それは、エジプトからの脱出とバビロン捕囚からの解放です。

「主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。」(1節)

しかし、主が成した過去の歴史的な出来事だけに限ったことではありません。新約時代に入って、世界中で、キリストの勝利と救いを体験したキリスト者たちが今も増え広がっています。

「地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。」(3節) 

キリスト者は世界中で注目を集めているのです。「クリスチャンはどんな生き方をしているのだろうか?何を考え、何を成そうとしているのか?」と関心を持たれているのです。

ところが、それだけで留まりません。この詩篇はもっともっと輝かしい未来を詠っているのです。それは、世の終わり、キリストの再臨の時に否応なしに、全世界の人々は、我らの神、イエス・キリストの驚くべき救いの御業を目撃することになるのです。主イエス様は十字架にかかる前に予告しております。

「人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。」 

空を見上げれば、誰だって分かるように、主イエス様は来臨されるのです。そして、すでに眠ってしまったキリスト者たちも、現に生きているキリスト者たちも、天に引き上げられるのです。「地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている」のです。

ですから、賛美を捧げましょう。主は真実はお方、聖書の御ことばの一点一画さえも廃れることなく実現なさるお方なのです。430年もエジプトで奴隷だった民が滅びることなく、約束の地に帰って来たのです。一度滅んだ国が、よみがえったように再建されたのです。我らの主は、そのような実績を積んでおられる王なる神なのです。

大いに主をほめたたえましょう。賛美いたしましょう。4-8節の賛美への、招きを読みましょう。特に6節にあるとおり、主は王なのです。王権は主のものなのです。王なる主に逆らっては生きていくことができないのです。

まとめましょう。この詩篇は、あまりにも孤高で、私たちの頭上の彼方を通り過ぎていくような、そんな感じさえしてきます。しかし、王権をもっておられる主イエス・キリストが、この地上を治め、私たちの歴史を治めていることに間違いありません。「歴史」を英語で「ヒストリー」といいますが、これは、「ヒズ ストリー」から来ていると言われています。「彼の物語」、彼とは誰ですか。主イエス・キリストに間違いありません。キリストの物語が歴史なのです。

今日、教会の中には、何となく行き詰まり感が漂っています。この世界も悪と不正がはびこり、貧しい者や弱い者が虐げられています。しかし、決して、このままでは終わらないのです。イエス・キリストが十字架上で処刑され葬られて、それだけで終わらなかったように。大どんでん返しがあるのです。ですから、私たちは顔を上げて、天を見上げ、大声で主を賛美いたしましょう。主イエス様が再び来られることを期待しながら待ち望みましょう。私たちの希望は、決して失望で終わらないのです。苦しみながら耐え忍ぶように期待しているのではありません。主は必ず約束を守ってくださるお方、約束を違うことがないのです。

「終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」(第二コリント13章11節)

きょうは、毎年恒例の墓地を共有する近隣5教会合同の墓前礼拝がラザロ霊園(千葉県我孫子市)でありました。とてもよい天気の中、午後3時より礼拝と教会紹介がありました。天国の希望を感じることができました。

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2008年4月20日 (日)

今日の礼拝

Img_0575 今日の礼拝では、H兄(写真)の証詞がありました。1年半ほど前、異常な血圧の低下、食欲不振、体力減退などに苦しまれていました。病院で検査を重ねても、「異常なし」とのこと。しかし、明らかに体力は弱られ、歩行困難な状態になり、教会のみなも大変心配し、また、何か原因があるのではと感じでいました。そして、半年前、療養もかねて娘さん一家が住むニュージーランドへと向かわれました。しかし、そこで、肺炎で緊急入院。大変な思いをされたのですが、そこで信じられないことがおこったのです。ニュージーランドの病院で検査を受けると、今までわからなかった血圧低下の原因がほぼ特定されたのです。

それからのH兄の病状はみるみるうちによくなり、今年のはじめに帰国された時は、以前のような元気なお顔、お声になっているではありませんか。本当に驚きました。副作用の影響も考えて薬を調節しながら治療を続けていらっしゃっており、まだ歩くのには多少の困難もあるとのことですが、兄弟は、以前のようでなくてもこんなにも回復していることに大きな感謝をささげているのです。

なぜ、なぜ、と思うような今までの道のりをH兄は、すべて感謝だとうけとめていることに励ましをうけました。H兄が今日の証詞の最後に引用されていた教父アウグスチヌスの「告白」の一文、また詩篇71篇がとてもこころにひびきましたのでこちらにものせさせていただきます。こうして、共に喜び、礼拝をささげることができる幸いをいやし主であられる神様に心から感謝します。

「愛する人が病み、その脈拍が明らかに悪い兆候を示している場合、彼の回復を望む者はみな、一緒に気をもみます。

 彼が回復に向かい、いまだ以前のようには 力強く歩けなくとも、すでに今までになかったような大きな喜びがあります。それは、以前元気で力強く歩いていた時には、味わえなかった喜びです。」アウグスチヌス「告白」より

 「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに合わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」詩篇71:20

今日の礼拝説教では、小池牧師より「主は私の大牧者」と題して詩篇23篇よりみことばのとりつぎがありました。

羊は飼い主が守り導かなければ、暗やみに迷い、敵に簡単にやられてしまいます。そんな羊のようなわたしたちの大牧者、ひつじかいと主はなってくださいます。

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」詩篇23篇

presentt-shirt今日は礼拝後にミニバザーがありました。洋服や日用品、また手作りのパンやケーキ、お弁当などいろいろなものがならびました。教会のメンバーだけでなく、友人、知人やご近所の方などが来て下さいました。あまりに盛況で、写真を撮り忘れてしまいました。準備をしてくださったみなさん、お買い上げいただいたみなさん、ありがとうございました。riceballbread 

教会へのお問い合わせは下記までお願いします。ホームページのお問い合わせコーナーからは通じなくなっています。

電話:047-432-0630

メール:shinfuna-church@nifty.com

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2008年4月13日 (日)

今日の礼拝

Img_0571 今日の礼拝では、小池牧師より「なげきから賛美へ」と題して、詩篇22篇よりみことばのとりつぎがありました。

詩篇22篇は受難の詩篇として有名です。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。」(1節)は十字架上のイエス様のお苦しみの預言として知られています。人はこの箇所をみずからの苦難と重ね合わせます。しかし、今日はあえてこの22篇の後半部分に目をとめます。

22篇後半は、嘆きから賛美へとかえられていきます。主は、悩み苦しむ者をかえりみてくださる方です。

「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」24節

また、主は全世界の王なるお方です。やがて世界の果て果てからすべての人々が主なる神様の御前に集まってくるのです。

「地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。」27、28節

さらに、主の恵みは、世代を超えて、宣べ伝えられるのです。

「子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。」30、31節

私たちは、やがて、必ず主の御前に帰るようになるのですから、本気、主の御前に立ち返って、主の恵みを受けて、賛美と喜びに満ちた人生を出発しようではありませんか。

私たちキリスト者は嘆きではおわりません。必ず主は答えをくださいます。そして、そのことは今にわかるのです。

今年度東京キリスト教大学からの実習生はこの春、沖縄の宮古島から入学された仲間さんです。今日は出身教会の瑞慶山牧師夫人とともに来会されました。こども大好き、スポーツ大好きのすてきな姉妹です。どうぞ、よろしくお願いします。

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2008年4月 6日 (日)

今日の礼拝

Img_0556 今日の礼拝では、小池牧師より、詩篇4篇からみことばの取次ぎがありました。

詩篇4篇は、ダビデがその息子アブシャロムの謀反によって、王位といのちを狙われている時のものであるとされています。

自分の息子にいのちを狙われる父親の気持ちはいかばかりでしょうか。ところが、ダビデは、腐ることなく、「義なる神」にあわれみを祈り求めるのです。「あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」1節

私たちの人生においても、この世の生業(なりわい)だけに終始しているとするならば、本当に殺伐とした砂漠を歩んでいるような人生になるでしょう。主のみ前に出ることが許されていることこそ、何にも代え難い恵みなのです。心が死んでしまいそうな「多忙」があるならばこそ、主の御前に出る時間を聖別すべきです。主は困難なときであっても、あなたにゆとりを与えてくださるお方なのです。

今週の中心聖句は、3節です。「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。」

聖徒とは、主の愛と憐れみを受けて主に従って行こうとする信仰者のことを指します。そういう聖徒たちを、主は、スペシャルに扱うのです。全く別扱いで、恵みを与えてくださるのです。だからこそ、「恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。・・・主に拠り頼め。」(4、5節詩人は賛美するのです。

今朝は、復活後第二の主日でもあります。そのことから特に7、8節「あなたは私の心に喜びを下さいました。・・・平安のうちに私は身を横たえ、すぐに、眠りにつきます。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」に注目します。

主の復活を喜び、よみがえりの希望に生きる私たちは、平安の内に、肉体の死を迎えることができるのです。死んで終わりではなく、よみがえりの希望に安心しながら、身を横たえ、すぐに眠りにつくことができるのです。そして、主が用意されている天上の住まいに安らかに住まわせて頂けるのです。

主はご自分の聖徒たちを特別に愛されているのです。この確信に立って、主に憐れみを受け、贖い出された群れとして、気高く歩んで行こうではありませんか。

今日は聖餐式、役員就任式がありました。

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4月20日の礼拝後、ミニバザーをいたします。日用品、雑貨、被服、手作りケーキなどがあります。どうぞのぞきにきてください。

教会へのお問い合わせは下記までお願いします。

電話:047-432-0630

メール:shinfuna-church@nifty.com

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