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2008年2月17日 (日)

今日の礼拝

Ca380081         今日の礼拝では、東Ca380083_2 京キリスト教大学4年生の菊地神学生がみことばのとりつぎをしてくださいました。

ローマ人への手紙4章17~25節より「望みを抱いて信じる」と題しての奨励でした。アブラハムは、「望みえないときに望みを抱いて信じました。」神様の約束を疑わずに信じ、その信じる信仰によって義とされたのです。

わたしたちには突然の悲しみや、困難がふりかかります。その困難をどのように受け止めているでしょうか。アブラハムのように希望を抱いて信じることができるでしょうか。

困難にぶつかった時、悩むこと、絶望することは簡単です。そのような時こそ、望みをいだき、見えない神様にたよることは難しいことですが、わたしたちには与えられた約束、希望があります。主からの約束をいただいた者として、勇敢にでていきましょう。

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2008年2月10日 (日)

今日の礼拝

Img_0386 今日の礼拝では、ヨハネの福音書14章7節~14節より「父なる神への道」と題して、小池牧師より説教が語られました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と語られるイエス様のことばを聞いても、弟子たちはなお、その意味を理解することはできませんでした。

ピリポは「主よ。私たちに父を見せてください。」とイエス様に言うのです。

イエス様は言われました「わたしを見たものは父を見たのです。」イエス様は、父なる神様のみこころのままに語られました。人としてうまれ、人として悩み、人の苦しみを味わってくださいました。さばきの神ではなく、死の呪いを滅ぼされたのです。

「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」

 これは福音の世界的な広がりをいっています。世界宣教の働きがわたしたちに委ねられています。また、主の名によって祈ることは、主のみこころにかなった祈り求めになります。わたしたちも主のわざをにないましょう。

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2008年2月 3日 (日)

今日の礼拝

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昨夜から久しぶりの大雪でした。あしもとの悪いなか、愛する兄弟姉妹のみなさんが礼拝にこられました。いつもは車のとことを徒歩や電車などでこられる方もいました。

今日の礼拝では、ヨハネの福音書13章36節~14章7節より「道・真理・いのち」と題して、小池牧師より説教が語られました。

十字架を目前にした最後の晩餐において、イエス様が弟子たちに互いに愛し合うようにあつく語られたのに、弟子たちはそのことに応答しませんでした。彼らの関心事は、イエス様はこの後いったいどこへいってしまうのですか?自分たちはどうなってしまうのか?ということでした。

ペテロがイエス様の預言どおりに、3度主を知らないといってしまうほど、弟子たちのこれからの歩みは悲惨なものです。私たちは、イエスを主と告白しているがゆえに直面する試練にあった時、どうするのかが問われています。

しかし、わたしたちは心配する必要がありません。

それは、第一に、私たちには、天に住まいがすでに用意されているからです。そのことはイエス様ご自身が約束してくださっています。

第二に、イエス様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」と語られたからです。道とはキリストそのもの、私たちの伝道はキリストをおしらせすることです。導くのは主ご自身がしてくださいます。また、イエス様は、そのみことば通りに生きられました。そして、主は、死んだものの神ではなく、生きたものの神です。それは、永遠のいのちにつながるいのちです。

弟子たちは、まとはずれとも思える問いを主になげかけましたが、それにも主はこたえてくださいました。私たちも、もっともっと、主にたずね求めていいのです。祈り求めればよいのです。(説教要旨より)

 

 とても、寒い1日でしたが、今日、会堂に活けられた花は、春を思わせる花でした。菜の花、梅など・・・・もうすぐ春がやってきますね。

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