2008年5月18日 (日)

今日の礼拝

Img_0597_2 今日の礼拝では、4月から沖縄 宮古島よりTCUに入学された実習生の仲間さんがあかしをしてくださいました。クリスチャンホームに育ち、神様を信じていましたが、高校生の時にとても自分では背負いきれないと思うような試練にあったそうです。毎日泣いていた時に、あるクリスチャンが神様がどんなにすばらしいお方か、その体験や聖書のみことばを語ってくれたり、励ましてくれたりしたそうです。次第に心が神様に向き、聖書を再び開いたりするようになりました。心がいやされていっても状況はかわらないという中で、中高生キャンプに参加しました。そこで、自分のことだけで精一杯だった自分を反省し、これからは主のために生きたいと献身の決意をしたのだそうです。小さなこどもたちが大好きで、こどもに大人気の仲間さんです。これからの学びと教会生活が祝福されるようにみなさんお祈りいたしましょう。

 礼拝説教は、ローマ人への手紙2章1~16節より「神の正しいさばき」と題して小池牧師よりみことばのとりつぎがありました。このローマ人への手紙2章は、ユダヤ人の罪を鋭く指摘しています。

「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。私たちは、そのようなことを行なっている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。」1、2節

 このユダヤ人の罪はわたしたちの罪でもあります。そして、天地万物を創造され人間をおつくりになった神様は全地をさばく権利をもっておられるのです。神様はすべての人が悔い改めて救われることを望んでおられます。しかしわたしたちは神様の慈愛と忍耐と寛容を侮ってはいけません。神様のさばきは各自のおこないに従って、えこひいきなく公正に、そして隠れたところにまで及ぶと記されています。これは、とても厳しいとおもえるかもしれません。しかし主なる神様が私たちの罪を怒られるということを知ることなしに、神様の深い愛とゆるしを体験することはできないのです。そして聖霊なる神様は私たちの罪深さを自覚させてくださるのです。

Img_0599 ところで、この3月より、わたしたちの教会では礼拝の後に、メッセージを聞いて感じたことなどを小グループにわかれてわかちあうという時をみじかくですがもちはじめました。そのために礼拝の開始時間を従来の10時45分から10時30分にはやめました。はじめてみると、自分が感じなかったことをわかちあうことで、新たな気づきがあり、とても新鮮な気持ちになり、とてもいいなあと思います。時々、感想から今の近況などに脱線?することもありますが、それもまたよしというか、なかなか毎週顔をあわせていてもお話をしない方の信仰にふれられて、恵みをいただくのです。牧師の説教をただ受け取るのではなく、それぞれが応答できるということはとても恵みなのだなあと感じています。

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5月23日(金)午前10時から11時半まで 子育て講演会「ほどほど子育てのすすめ」があります。キリスト兄弟団三鷹教会の池本ふみこ先生がお話をしてくださいます。5人のお子さんのお母さんでもあります。参加費はお茶お菓子つき500円です。どうぞご参加ください。

 

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2008年5月11日 (日)

ペンテコステ(聖霊降臨祭)礼拝

Ca380101 今日は教会暦でいうと、ペンテコステ(聖霊降臨祭)です。主イエス様が天に昇られる前、弟子たちに「助け主」を送るとの約束をしてくださいました。使徒たちが祈りのためにひとつところに集まっていると、聖霊が天からくだりました。この時から、力が与えられ、全世界に宣教のわざがひろがっていったのです。ですから、このペンテコステは宣教のはじまり、教会の出発点でもあるのです。

Ca380103 今日は母の日でもありました。母の日は昔、アメリカの教会で亡き母をしたったある娘さんがカーネーションをかざったことからはじまったともいわれています。教会学校(ハレルヤタイム)のこどもたちは、今日は、母の日のカードをつくりました。絵が飛び出すカードをつくったのですが、みんな、それぞれメッセージやお母さんの似顔絵などを書いていました。

今日の礼拝では、エゼキエル書37章1~14節より「息よ、四方から吹いて来い」と題して小池牧師より説教がありました。

エゼキエルは分裂後の南ユダ王国が捕囚され滅亡する前後に遣わされた預言者です。すでに北イスラエル王国は、アッシリヤによって捕囚されていました。当時の南ユダ王国では、「北は滅んだが、自分たちは大丈夫、決して滅びない」という変な楽観主義がはびこり、不信仰と怠惰に満ちていました。それが、結局は、南ユダ王国もバビロンに捕囚されてしまいエルサレムは陥落してしまったのです。今日の37章はエルサレム陥落後の落胆したエルサレムが描かれています。絶望した民に、希望のことばが預言されています。それは、再びイスラエルに戻るようになるという約束でした。

①わたしたちも、かつては墓の中の死人のようであったのにイエス・キリストによって救われたものです。それなのに、それを忘れて、楽観主義に陥っていないでしょうか。サマリヤの人とは違うと思った南ユダの人のように、世の中の人と比べそれに比べたら自分はましなのだと考えてはいないでしょうか。

②肉体があっても主の御霊が宿らなければ、それは生きたものとはなりません。今、主の息がなければ(魂の救いがなければ)それはむなしいものです。主と息のあった関係になっていますか。「干からびた骨」のようになってはいませんか。

③主なる神様は、「干からびた骨」でさえ生き返らせることができるお方です。わたしたちは、もう一度、回復される必要があります。主の御霊によって生きかえる必要があります。

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5月23日(金)午前10時より11時30分まで子育て講演会「ほどほど子育てのすすめ」 (講師:池本ふみこ先生 三鷹教会牧師夫人)があります。

茶菓つきで500円です。お子さん連れも歓迎します。お問い合わせ、お申し込みは、新船橋キリスト教会まで。

↓↓↓

新船橋キリスト教会 電話047-432-0630

e-mail  shinfuna-church@nifty.com

地図↓ ↓

http://biglobe-tel.goo.ne.jp/middle.php?mapkind=1&matomeid=KN1200060600085069

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2008年5月 4日 (日)

子育て講演会のご案内

5月23日(金)午前10時~11時半まで

「ほどほど子育てのすすめ」

講師:池本ふみ子先生(キリスト兄弟団 三鷹教会 牧師夫人)

chickちょっと力をぬいて毎日の子育てをふりかえってみませんか。今、まさに育児に奮闘中の方も、もう卒業という方も、またお孫さんのお世話をしている方も、どなたでもどうぞご参加ください。講師の池本先生は5人のお子さんのおかあさんでもあります。

cafe会費はお茶、お菓子つき500円です。お子さんを遊ばせるスペースもあります。

telephoneお問い合わせ、お申し込みは教会まで。事前申し込みがなくても参加できます。

電話:047-432-0630

メール:shinfuna-church@nifty.com

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今日の礼拝

今日の礼拝では、詩篇47篇より、「主は昇って行かれた」と題して、小池牧師よりみことばのとりつぎがありました。

5月1日は教会暦では昇天日(キリストが復活後、弟子たちにあらわれた後、天に昇っていかれた日)でした。今日は昇天後主日となります。

今日の詩篇47篇は、昇天記念の詩篇ともいわれる箇所です。

「神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、上って行かれた。」5節

勝利の主が民の大歓声の中を、自らの王座にのぼっていく姿、それはキリストの昇天を思わせます。主は、私たちの最後の敵、死の刺を抜き去り、大勝利をおさめて天に昇っていかれました。

私たちの主は、全地の主、全世界の国民をおさめるお方です。そして、大歓声で主を見送った私たちに、主は、助け主なる聖霊を送ると約束してくださいました。来週はその聖霊降臨祭(ペンテコステ)をむかえます。心から感謝し、お祝いしましょう。

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2008年4月27日 (日)

今日の礼拝

今日の礼拝では詩篇98篇1-9節より「主の救いを見よ」と題して小池牧師より御ことばが語られました。

1-3節では、主なる神様の素晴らしい救いの御業が語られています。この背景には、イスラエルの歴史的体験が考えられます。それは、エジプトからの脱出とバビロン捕囚からの解放です。

「主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。」(1節)

しかし、主が成した過去の歴史的な出来事だけに限ったことではありません。新約時代に入って、世界中で、キリストの勝利と救いを体験したキリスト者たちが今も増え広がっています。

「地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。」(3節) 

キリスト者は世界中で注目を集めているのです。「クリスチャンはどんな生き方をしているのだろうか?何を考え、何を成そうとしているのか?」と関心を持たれているのです。

ところが、それだけで留まりません。この詩篇はもっともっと輝かしい未来を詠っているのです。それは、世の終わり、キリストの再臨の時に否応なしに、全世界の人々は、我らの神、イエス・キリストの驚くべき救いの御業を目撃することになるのです。主イエス様は十字架にかかる前に予告しております。

「人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。」 

空を見上げれば、誰だって分かるように、主イエス様は来臨されるのです。そして、すでに眠ってしまったキリスト者たちも、現に生きているキリスト者たちも、天に引き上げられるのです。「地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている」のです。

ですから、賛美を捧げましょう。主は真実はお方、聖書の御ことばの一点一画さえも廃れることなく実現なさるお方なのです。430年もエジプトで奴隷だった民が滅びることなく、約束の地に帰って来たのです。一度滅んだ国が、よみがえったように再建されたのです。我らの主は、そのような実績を積んでおられる王なる神なのです。

大いに主をほめたたえましょう。賛美いたしましょう。4-8節の賛美への、招きを読みましょう。特に6節にあるとおり、主は王なのです。王権は主のものなのです。王なる主に逆らっては生きていくことができないのです。

まとめましょう。この詩篇は、あまりにも孤高で、私たちの頭上の彼方を通り過ぎていくような、そんな感じさえしてきます。しかし、王権をもっておられる主イエス・キリストが、この地上を治め、私たちの歴史を治めていることに間違いありません。「歴史」を英語で「ヒストリー」といいますが、これは、「ヒズ ストリー」から来ていると言われています。「彼の物語」、彼とは誰ですか。主イエス・キリストに間違いありません。キリストの物語が歴史なのです。

今日、教会の中には、何となく行き詰まり感が漂っています。この世界も悪と不正がはびこり、貧しい者や弱い者が虐げられています。しかし、決して、このままでは終わらないのです。イエス・キリストが十字架上で処刑され葬られて、それだけで終わらなかったように。大どんでん返しがあるのです。ですから、私たちは顔を上げて、天を見上げ、大声で主を賛美いたしましょう。主イエス様が再び来られることを期待しながら待ち望みましょう。私たちの希望は、決して失望で終わらないのです。苦しみながら耐え忍ぶように期待しているのではありません。主は必ず約束を守ってくださるお方、約束を違うことがないのです。

「終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」(第二コリント13章11節)

きょうは、毎年恒例の墓地を共有する近隣5教会合同の墓前礼拝がラザロ霊園(千葉県我孫子市)でありました。とてもよい天気の中、午後3時より礼拝と教会紹介がありました。天国の希望を感じることができました。

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2008年4月20日 (日)

今日の礼拝

Img_0575 今日の礼拝では、H兄(写真)の証詞がありました。1年半ほど前、異常な血圧の低下、食欲不振、体力減退などに苦しまれていました。病院で検査を重ねても、「異常なし」とのこと。しかし、明らかに体力は弱られ、歩行困難な状態になり、教会のみなも大変心配し、また、何か原因があるのではと感じでいました。そして、半年前、療養もかねて娘さん一家が住むニュージーランドへと向かわれました。しかし、そこで、肺炎で緊急入院。大変な思いをされたのですが、そこで信じられないことがおこったのです。ニュージーランドの病院で検査を受けると、今までわからなかった血圧低下の原因がほぼ特定されたのです。

それからのH兄の病状はみるみるうちによくなり、今年のはじめに帰国された時は、以前のような元気なお顔、お声になっているではありませんか。本当に驚きました。副作用の影響も考えて薬を調節しながら治療を続けていらっしゃっており、まだ歩くのには多少の困難もあるとのことですが、兄弟は、以前のようでなくてもこんなにも回復していることに大きな感謝をささげているのです。

なぜ、なぜ、と思うような今までの道のりをH兄は、すべて感謝だとうけとめていることに励ましをうけました。H兄が今日の証詞の最後に引用されていた教父アウグスチヌスの「告白」の一文、また詩篇71篇がとてもこころにひびきましたのでこちらにものせさせていただきます。こうして、共に喜び、礼拝をささげることができる幸いをいやし主であられる神様に心から感謝します。

「愛する人が病み、その脈拍が明らかに悪い兆候を示している場合、彼の回復を望む者はみな、一緒に気をもみます。

 彼が回復に向かい、いまだ以前のようには 力強く歩けなくとも、すでに今までになかったような大きな喜びがあります。それは、以前元気で力強く歩いていた時には、味わえなかった喜びです。」アウグスチヌス「告白」より

 「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに合わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」詩篇71:20

今日の礼拝説教では、小池牧師より「主は私の大牧者」と題して詩篇23篇よりみことばのとりつぎがありました。

羊は飼い主が守り導かなければ、暗やみに迷い、敵に簡単にやられてしまいます。そんな羊のようなわたしたちの大牧者、ひつじかいと主はなってくださいます。

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」詩篇23篇

presentt-shirt今日は礼拝後にミニバザーがありました。洋服や日用品、また手作りのパンやケーキ、お弁当などいろいろなものがならびました。教会のメンバーだけでなく、友人、知人やご近所の方などが来て下さいました。あまりに盛況で、写真を撮り忘れてしまいました。準備をしてくださったみなさん、お買い上げいただいたみなさん、ありがとうございました。riceballbread 

教会へのお問い合わせは下記までお願いします。ホームページのお問い合わせコーナーからは通じなくなっています。

電話:047-432-0630

メール:shinfuna-church@nifty.com

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2008年4月13日 (日)

今日の礼拝

Img_0571 今日の礼拝では、小池牧師より「なげきから賛美へ」と題して、詩篇22篇よりみことばのとりつぎがありました。

詩篇22篇は受難の詩篇として有名です。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。」(1節)は十字架上のイエス様のお苦しみの預言として知られています。人はこの箇所をみずからの苦難と重ね合わせます。しかし、今日はあえてこの22篇の後半部分に目をとめます。

22篇後半は、嘆きから賛美へとかえられていきます。主は、悩み苦しむ者をかえりみてくださる方です。

「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」24節

また、主は全世界の王なるお方です。やがて世界の果て果てからすべての人々が主なる神様の御前に集まってくるのです。

「地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。」27、28節

さらに、主の恵みは、世代を超えて、宣べ伝えられるのです。

「子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。」30、31節

私たちは、やがて、必ず主の御前に帰るようになるのですから、本気、主の御前に立ち返って、主の恵みを受けて、賛美と喜びに満ちた人生を出発しようではありませんか。

私たちキリスト者は嘆きではおわりません。必ず主は答えをくださいます。そして、そのことは今にわかるのです。

今年度東京キリスト教大学からの実習生はこの春、沖縄の宮古島から入学された仲間さんです。今日は出身教会の瑞慶山牧師夫人とともに来会されました。こども大好き、スポーツ大好きのすてきな姉妹です。どうぞ、よろしくお願いします。

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2008年4月 6日 (日)

今日の礼拝

Img_0556 今日の礼拝では、小池牧師より、詩篇4篇からみことばの取次ぎがありました。

詩篇4篇は、ダビデがその息子アブシャロムの謀反によって、王位といのちを狙われている時のものであるとされています。

自分の息子にいのちを狙われる父親の気持ちはいかばかりでしょうか。ところが、ダビデは、腐ることなく、「義なる神」にあわれみを祈り求めるのです。「あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」1節

私たちの人生においても、この世の生業(なりわい)だけに終始しているとするならば、本当に殺伐とした砂漠を歩んでいるような人生になるでしょう。主のみ前に出ることが許されていることこそ、何にも代え難い恵みなのです。心が死んでしまいそうな「多忙」があるならばこそ、主の御前に出る時間を聖別すべきです。主は困難なときであっても、あなたにゆとりを与えてくださるお方なのです。

今週の中心聖句は、3節です。「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。」

聖徒とは、主の愛と憐れみを受けて主に従って行こうとする信仰者のことを指します。そういう聖徒たちを、主は、スペシャルに扱うのです。全く別扱いで、恵みを与えてくださるのです。だからこそ、「恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。・・・主に拠り頼め。」(4、5節詩人は賛美するのです。

今朝は、復活後第二の主日でもあります。そのことから特に7、8節「あなたは私の心に喜びを下さいました。・・・平安のうちに私は身を横たえ、すぐに、眠りにつきます。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」に注目します。

主の復活を喜び、よみがえりの希望に生きる私たちは、平安の内に、肉体の死を迎えることができるのです。死んで終わりではなく、よみがえりの希望に安心しながら、身を横たえ、すぐに眠りにつくことができるのです。そして、主が用意されている天上の住まいに安らかに住まわせて頂けるのです。

主はご自分の聖徒たちを特別に愛されているのです。この確信に立って、主に憐れみを受け、贖い出された群れとして、気高く歩んで行こうではありませんか。

今日は聖餐式、役員就任式がありました。

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4月20日の礼拝後、ミニバザーをいたします。日用品、雑貨、被服、手作りケーキなどがあります。どうぞのぞきにきてください。

教会へのお問い合わせは下記までお願いします。

電話:047-432-0630

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2008年3月30日 (日)

今日の礼拝

Img_0515 Img_0518 今日は墓地を共有する近隣5教会の講壇交換がありました。新船橋キリスト教会には市川福音キリスト教会牧師であり、東京基督神学校校長の山口陽一先生がみことばのとりつぎをしてくださいました。(以下は説教をブログ筆者がかきとめてまとめさせていただきました。)

説教の聖書箇所はホセア書1章9~10節、ペテロの手紙第一2章3~10節でした。ペテロの手紙第一は、ペテロから小アジヤの「散って寄留している」「選ばれた人々」へむかってかかれた手紙です。迫害されてエルサレムから散っていた人々は、安定とは程遠い、困難や苦しみがあったでしょうが、心は喜びに満ちていました。新船橋キリスト教会も、新会堂をえて、安住したかのようですが、実はこの世にあってはまだ寄留しているのです。目指すのはまだ先、私たちが集まるのは天の御国なのです。

それでは、寄留している地上の教会は何のためにあるのでしょうか?

「あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」ペテロⅠ2:10

神の民でない者が神の民とされるということは旧約聖書から記されていることでもあり、これは、あたり前でない神様のご計画です。神の裁きが与えられるはずの人がゆるされること、これはあわれみ、恵みなのです。私たちが受けるべき裁きをイエス・キリストが受けてくださったのです。

自分たちが何者であるか、地上の教会が何であるか、それは、あわれみのゆえに存在するものなのです。あわれみを受けた私たちがその喜び、感謝を表すのにしすぎはありません。なんとかして、そして、あらゆる方法で、受けた恵みを表していきましょう。そして、それを用いて働いてくださるのは主ご自身なのです。

山口師をかこんで昼食後、トラクト配布にでかけました。説教のなかでも、先生は、神様から受けた驚くべきあわれみの喜びをあらわす方法はいろいろありますが、あらゆる方法を用いていきましょうと、励ましてくださり、先生もともに参加してくださいました。小さな群れには大きな励ましとなりました。向かう途中で、馬込沢キリスト教会での説教奉仕を終えて戻ってきた小池牧師とも合流し、塚田駅周辺地域にトラクトを配ることができました。今回は、今まであまり配ることのなかった地域にもいくことができ、感謝でした。小さな小さな働きですが、神様のあわれみと恵みを受けている感謝をあらわすことができることは大きな恵みなのだとあらためて実感するひとときとなりました。

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2008年3月23日 (日)

イースター礼拝

イースターおめでとうございます!!

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イースターは、クリスマス(キリスト降誕祭)ペンテコステ(聖霊降臨祭)とならんで、キリスト教の大きな喜びの時です。主イエス・キリストが復活したことを祝う復活祭です。

今朝は、イースター礼拝の前に、こどもたちを対象とした、イースターエッグハンティング(たまごさがし)をしました。会堂のあちらこちらにいろいろな袋や箱にかくされた卵(今年は卵型のカプセルにお菓子がはいっているものを用意しました)をみんなでさがすのです。以前、教会のこどもの集会などにきてくれた子には招待状をだしてありました。それをみて、12人のこともだちがあつまりました。楽しく、たまごをさがした後は、イースターのお話をききました。

今日の礼拝はおとな、こども合同のイースター礼拝でした。今日は聖歌隊の特別賛美や、キャンプに行った姉妹のあかしなどがありました。

礼拝後は、恒例のもちより愛餐会がありました。

「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。」  マルコ16章6節

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